【メダリスト】夜鷹純の犠牲論の謎 13巻時点考察【動画版】

気が向いたので、『メダリスト』のYouTube版の考察動画を作成してみました。だいぶ久しぶりなんで作り方忘れたわ……(最後に動画投稿したのが2021年……だと……)
ブログでUPした考察の要点のみを絞り、短めに作成。もちろん、需要なんぞ知ったこっちゃありません。
動画に使用したテキストも置いておきます。ぶっちゃけ、ブログのほうはダラダラ書いてるけど、必要な部分だけ抜き出すとこれだけで済むんだよなぁ……
今後も、気が向いた時にぼちぼち作ろうかと思います。気が向いた時に。(大事なことなので二度言いました)
動画使用テキスト
今回は、夜鷹純の『勝利に必要なのは犠牲』論について考察します。
夜鷹純は、すべての大会で金メダルを獲るという傍目には輝かしい経歴の持ち主です。しかし、その『勝利のため』に、色々なことを『犠牲』にした人物でもありました。
そういった経験から、光にも『勝利に必要なのは犠牲だ』と教えたようです。
しかし、なぜ『犠牲』と言うのでしょう?
彼の金メダルが『期待して得たもの』であったのなら、それを得るために費やした時間や努力は『対価』と言うのではないでしょうか?
宝くじや馬券を買うとき、『外れる』と確信して買う人はいません。多少なりとも『期待』があるから買うはずです。
つまり『犠牲』とは、『支払った時点』ではまだ『犠牲になっていない』のです。結果が出て初めて『対価』だったか『犠牲』だったかがわかります。
ということは、彼は莫大な『対価』を支払ったものの、得られた結果が『期待外れ』だったものだから、支払ったことを後悔し、それまでの努力を『犠牲』と結論づけたのではないでしょうか?
そもそも金メダルとは、『目的』のための『手段』に過ぎません。
いのりさんを見てみましょう。いのりがスケートをやりたかったのは『ダメな自分』を変えるためです。
最初は『自分のため』だったわけですが、上達していくにつれ、自分を信じてくれる人や愛してくれる人達の『幸せ』のために、みんなが一番喜ぶ『金メダル』を目指すようになりました。
つまり、いのりにとって『スケート』や『金メダル』とは、『みんなの幸せ』を手に入れるための『手段』に過ぎないのです。
話を夜鷹に戻します。
彼は『なんのため』にスケートを始め、スケートで叶えたかった『目的』は何だったのでしょうか?
少なくとも、『地位』や『名誉』が欲しい人とは思えません。そんな人なら、最初っから『天才少女のコーチ』として、大々的にアピールしてもよかったはずです。
もし彼の『目的』が『金メダル』ではなく、『金メダルを獲り続ければ手に入ると思っていたもの』であったとして、なおかつ『それを得ることが出来なかった』ということなら、彼が『スケートのために費やしたもの』は、すべて『犠牲』ということになります。
もしかすると、二十歳で引退してしまったのも、『満足した』からではなく、スケートでは手に入らないと『あきらめがついた』からだったのでしょうか?
そんな夜鷹は、『光は自分と同じ道を歩む』と感じていました。
光は『夜鷹純になろう』としていました。
しかし『それは無理である』ということを一番知っていたのが夜鷹です。
『叶わぬこと』を『目的』にしている限り、どんなに金メダルを獲り続けても、『そのための努力は犠牲になる』とわかっていたから、『幸せになれない』だの、『勝つために必要なのは犠牲』だのと、怖がらせるようなことを光に教えたのでしょうか?
しかし光は、恐れることなく夜鷹を選びました。
そしていのりとの出会いによって、光は『自分の勘違い』に気づき、『抑圧していた自分』を解放しました。
『間違い』を受け入れたことで、『夜鷹純になるため』ではなく、初めて『狼嵜光』として、『誰かのため』に滑りました。
夜鷹が教えずとも、光はちゃんと自分の道を自分で選び、歩き始めたのです。
光の前から姿を消したのは、『光の夜鷹純からの卒業』と判断したということでしょうか。
そして『スケート靴を置いて行った』のは、夜鷹もまた、『何か』から『卒業した』ということなのでしょうか?
なぜスケート靴を置いて去ったのかは本人のみぞ知るわけですが、少なくとも、夜鷹の『スケート愛』は本物だったはずです。
それなのに、『自分が勝ち続けることが出来たのは犠牲を支払ったからだ』というのは、まるで、挑んできた自分の『努力』や『勇気』を粗末にしているかのようです。
それはあまりに悲しすぎるので、いつかは、『愛するスケート』のために費やしたものは、すべて『宝物』であったと語ってくれる日が来ることを願います。
それでは今回はこの辺で。
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