【進撃の巨人】キャラタイプ別愛のカタチを考える(127話時点)
進撃の巨人考察21回目。今回は趣向を変えてキャラごとのこれまでの行動や発言を元に、愛のタイプ別にカテゴライズし、考察してみました。
自分はどのキャラに似てるか、当てはめて考えてみるのも楽しいかもしれません。
今さらなものやよその考察とかぶったりとかそりゃねーわなのもあるでしょうが、あたたかく見守ってください。考えるだけなら自由だろ?
2020年3月の127話時点の内容です。ネタバレ配慮してないんでご注意を。
独断と偏見でお送りするタイプ別愛のカタチ診断
さて、クルーガーさんが言った『人を愛せ』。
今の島民の状況を見ていると、今こそ必要なもののように思われます。
『愛』の形は人それぞれということで、今回はキャラを深く知るために、それぞれどんな愛を持っているか考察。
なんか心理テストみたいな感じになりましたが、別にそういう勉強してるわけでもなく、完全に個人の独断と偏見です。
人によっては『いやいや、こいつそんなんやないやろー』というのもあるでしょうが、『あー、この人はこのキャラをそういう風に見てるんだな』程度にかるーく流してください。
あなたの『キャラへの理解』がより一層深まる助けになれば幸い。
「無条件で愛をください」タイプ
ジーク、クサヴァーさん
愛されたい愛されたいと渇望するばかりで自分からは愛したりしない。愛に飢えているから、与えられる愛がない。
何も与えないのに『もっと愛されてもいいはずだ』という歪んだ自己愛と、『欲しい』と思う欲望だけはある。
人を見下す態度を取ったり嘘をつくなど、他者への思いやりに欠ける行動を取るが、それは自信がない故の自己保身のため。
ので、きっとモテない。
ジークお兄ちゃんは本気で好きな人とか恋人が出来たりしたら『去勢計画』なんてアホらしくなって出来んやろ。にもかかわらず、ずっと計画してたということは……まあ、そういうことでしょう。
『王家の血』を振りかざすのは、だいたい両親とクサヴァーさんによってはぐくまれた歪んだ自己愛のたまもの。(両親からもクサヴァーさんからも『お前(王家の血)は特別』と言われ続け、すがれるものが他になかったのでしょう……)
グリシャパパの愛に触れたことで、なんか変化あったのか注目。
そして同類・クサヴァーさん。
この人も一度は結婚して子供までもうけましたが、『エルディア人だとバレたとたん妻子に心中される』という悲惨な目に遭いました。
しかし、そもそもの原因は『自分はマーレ人』と嘘をついていたから。
嘘をついたのは『ユミルの民』である自分への自己肯定感の低さと『嫌われたくない』『知られたら愛されなくなる』という臆病さからくるもの。奥さんを心の底から信じていたわけではなかったんでは。(クサヴァーさん的に奥さん子供の死は『裏切られた』気分になると同時に『ああ、やっぱそうだよなぁ』という納得もあった? でも、一番裏切られていたのは奥さんだよ)
ジークに去勢計画を託したのは、『利害が一致した』というのもあるけど、『自分の歪んだ欲望(生まれてこなけりゃよかった)』のために利用したとも考えられます。(『去勢計画』は奥さんに殺された実子の『否定』でもあるんだよなぁ。そういう意味では実子は2回殺されたというのは言い過ぎでしょうか?)
『生まれてこなければ……』というジークに、たとえ嘘でも『何馬鹿なこと言ってるんだ! キミは幸せになるんだ!』くらい言えたら『本物の親』になれたろうに……(それすら考えられないくらいユミルの民が置かれた環境がひどすぎたんだよなぁ。『悪い人』ではなく『弱い人』だった)
「望み通りにしますから愛してください」タイプ
ブラウンさんち
愛して欲しくて『相手が望むもの』に自分を合わせようとする役者タイプ。
結果として相手は喜び、褒めてくれたり与えてくれたりするものの、それは『演じている自分』対して与えたものであり、『本来の自分』が望んでいるものとはズレている。そのため『演じている自分』が褒められれば褒められるほど傷つき、みじめな気分になっていく。
それでも喜んで欲しくて演じ続けるが、『本来の自分』からどんどんかけ離れた自分になっていくため、いずれ無理が生じて自分が壊れる。
ライナーはまさにこれ。幼少期は『母ちゃんの望む理想の息子』を演じ、兵士時代は『頼られる兄貴』を演じ。そら精神も分裂しますな。カリナママも『ライナーパパの理想の人(自分の脳内での理想)』になろうと病んでいった。
ガビはマーレの教育で『洗脳』されてた感じなので、『演じる』とはちょっと違うかも? 少なくともガビは洗脳が解けて『人を愛せる子』になった。
今のライナーは『演じる』ことをやめたわけですが……うん、まあ、自己肯定感は相も変わらずどん底みたいやね……「愛して欲しい」というより「殺して欲しい」と思ってそうだけど。
カリナママは『島から帰ってライナーは変わった』と言ってたけど、『本来の自分』に戻っただけという……本来のライナーを見たこともないし、ライナーも見せなかった(見せられなかった)んやろうね。(母子で共依存関係だったのかも)
とはいえ、ライナーは懐が寒くなっても『喜んでくれたしまあいっか』という子供達への愛情はある。(自己愛の人は自分を良く見せるため気前よく振る舞うが、内心『厚かましいヤツめ!』と罵っていたり見返りがないと腹を立てる)
自分の命をゴミのように扱ってるうちはまったく死なせてもらえず、『もう自分を粗末にすまい』と目覚めた途端死にそう。(残酷な世界)
「犠牲になるから愛してください」タイプ
クリスタ、フリーダ(始祖継承後)、始祖ユミルちゃん、ユミルの民
誰にでもやさしく振る舞うが、それは『嫌われたくない』『必要とされたい』が根底にある。そのため、嫌なことを断らなかったり言いなりになったりすることもある。
『良い人』からは『いい子だなー』と慕われるが、『ずるい人』からは粗末に扱われ、利用される。
『必要とされたい』がために自己犠牲的な行いをするが、それは『自己肯定感の低さ』と『自分を粗末にしている』からこそ出来る芸当。DV野郎にモテるタイプ。(もしくは『DV野郎にしてしまう』タイプ)
『クリスタ』の名を与え、『自己肯定感の低さ』と『自分を粗末にする』性格を利用しようとしたのが父親であるロッド・レイス。(そのロッドにキレてツッコミを入れたのがケニー)
クリスタはもう上記に書いたまんまです。幼少はフリーダ以外『ずるい人』だらけでしたが、幸運なことに104期に『ずるい人』がいなかったおかげで救われました。(それどころか『いい子すぎる』ことにツッコミを入れてくれる人がいた)
もし陰湿なクラスだったらパシリにされたりイジメの標的になっとったで……
絵本の中の『やさしいクリスタ』みたいになれとヒストリアに言ったのがフリーダ。しかしヒス本人は『お姉ちゃんみたいになる』と言ったんですよね。
そしてフリーダ姉さんもすぐに『いいよいいよそのままで!』と言っているので(ありのままのヒストリアを肯定)、元々のフリーダ姉さんは『無償の愛』を与えられる人だったのでは。(むしろ『無償の愛』があったがゆえに始祖継承しちゃったか……)
しかし、始祖継承したことで思想が歪んでしまい、『クリスタみたいになるのが理想』になったか?
始祖ユミルちゃんもこのタイプっぽいね。
豚に逃げられた時、『こいつなら反論せんやろ』と『ずるい人』達に一斉に指さされ、そしてその期待に応えて前に出た。
巨人の力を得た後も、『ずるい人』の言いなりになってマーレを蹂躙し、子を産み、死んだ後も巨人を作り続けたという……結果、なーんもいいことありませんでした。(それどころかどんどん悲惨な方角に)
ある意味『一般ユミルの民』もこれ。エルディア帝国やらマーレにずーっと奴隷として尽くしてきたけど見返りどころか扱いはさらに粗末なものに。
そして今もパラディ島のユミルの民は『必要とされたい』と対話を目指したけど、対等な力を持たないのでどこからも相手にされず粗末に扱われました。(ヒィズルはまだマシな扱いしてくれたけど足元は見ていた)
力がある者からすれば『話し合いに応じたところでメリットがない(どうせだったらタダでもらいたい)』ので、暴力でねじ伏せるほうが手っ取り早くてお得なんですよね……(ジ●イアン方式)
まあ、おかげで進撃さんを進撃させちゃいましたが……『地ならし発動』はユミルの民の開放につながるのか?
「愛されずとも愛しましょう」タイプ
104期ユミル、ファルコ、サシャ、ハンジさん、兵長、アルミン
与えたからと言って見返りを求めない、いわゆる「無償の愛」を与えられる人。全員頭進撃にして調査兵団ガチ勢。(ファルコ調査兵団ちゃうけど)
人を犠牲にするのは嫌だし、自分の心も犠牲にしない。葛藤はあっても、最後は自分の心に従い踏み出せます。
104期ユミルは一見、厳しい子だけど『本当の優しさとは何か』を知っている子。クリスタに与え、ライナーやベルトルトにまで与えたりと、一見自己犠牲なんだけど、『それ以上にこいつらを犠牲にするのは嫌だ!』という『自分の心からの願い』でやってのけたというガチ女神。
ファルコは助けたケガ人に罵られようと憎むようなことはせず、懲りずにまた人助けが出来る子。好きな子のために自分が身代わりにがんばることも出来る。
悪いことが起こっても人のせいにせず、相手の立場を考え、自分の行動を振り返る冷静さと賢さを備えています。
さらには自分の気持ちを伝えるべき時にちゃんと伝える勇気も持っています。(『ただの自己犠牲』の人は気持ちを伝えることをためらい、『自己愛』の人は相手の気持ちを考えない。タイミング大事)
サシャは、訓練兵時代は臆病さゆえに『人によく見られたい』というクリスタタイプな一面がありましたが(でもおいもは我慢しない)、調査兵団に入る頃には卒業。コニー達調査兵の仲間やニコロ、カヤなど、身の回りにいる自分の好きな人を、励ましたり楽しませるなど『与えられる人』になりました。
見ず知らずの子供のために、立体起動もないのに巨人に立ち向かうのは『無償の愛』の人じゃなきゃ出来ない。(ご両親がガチ聖人なんだからそらそうや)
でも食いしん坊なので、割ったおいもはおっきいほうが欲しい模様。
ハンジさんは食べ物だったり知識だったり、何かしら与えられる人。
少なくとも兵長抱えて荒れた川飛び込む決死のチャレンジや、『相手を知ろうとする』は『人を愛せる人』やないと無理。(『自己愛』の人は自分だけ助かろうとし、聞く耳も持たない)
理想と現実のギャップに苦しみつつも、それでも考えること止めず、進もうとする意志の強さもあります。(『仕方なかった』と諦めるのは『思考停止』と同義)
兵長もここ。スリ少年に財布盗られても『まあいっか』出来るのは弱き者への慈悲深さ。
時と場合によっては力でねじ伏せるようなこともしますが、その根底には『仲間を守る』が常にあり、ケタ外れの強さを私利私欲に使うことはしません。(『強いヤツほど他者への優しさがないとダメ』のお手本のような人)
が、「(※紅茶くらいよこせ)」というシビアさはあります。
エレンがアルミン死ぬのが悲しくて辛いのと同じように、自分もエルヴィンが死ぬのは悲しくて辛いけど、その辛さを押し殺してでも『この地獄から解放してやりたい』という他者への思いやりと自分の意思に従う強さを持っています。
育ての親であるケニー伯父さんも、ある意味『与えられる人』ではあった。(ただし血縁者や親友など範囲は限定的)
あと、アルミンもここに入れました。アルミンは自分を犠牲に戦える子。
初期の頃は自己肯定感が低かったようですが、心から信頼してくれる仲間の存在で自信がつき、その信頼に応えるべく自分が立てた作戦を決行する勇気も持っています。
『自分を犠牲にする』という点ではクリスタと同じ『自分を粗末にする』行為なんですけど、アルミンは『自分のため』であると同時に『後に続く誰かのため』でもあるんですよね。(『夢』を『捨てた』のではなく『託した』。クリスタの『自己犠牲』とは意味が異なる)
そういう意味ではエルヴィンに負けず劣らず相当な調査兵団ガチ勢。
「愛さないし愛されたくもありません」タイプ
フロック、アニ
『愛の反対は無関心』とはよく言ったもんで、自分の命にも他人の命にも関心がない。
ただの無気力人間なら害はないが、ご大層な使命や目的を持っていて、なおかつ行動力があるととたんにタチが悪くなります。
フロックはシガンシナ奪還以来「正しいこと」しか言わなくなったよね。肝心の『人の心に寄り添えない』というか。(『正論』で人は黙らせても心は救えない)
『肝心の人の命に興味がない』は兵長がジークに対して言った言葉だけど、フロックにも当てはまりそう。
しかしこの二人の違いは、ジークはまだ歪んだ自己愛があったけど、少なくともフロックくん、自分自身も含めて誰も愛してないと思うの……もう『人の命』は二の次三の次で、『俺がやらなきゃ!』という『使命感』とかそういうのに突き動かされてる感じ。
たとえばシガンシナでの車力ちゃん戦、先陣切って敵に突っ込んで『あいつはなんて勇敢なんだ!』とプラスに思われる行動してましたが、見方を変えると『自分を愛していない=命を粗末にしている(他人も含む)』からこそ出来たとも思えるんですよね。
本来、先陣切るのはそれに見合う実力と経験がある人じゃないと、後に続く人まで死んじゃうからやっちゃダメ。(レベリオでは率先して敵戦力と戦っていたジャン達に対し、フロックは無害な民間の建物への攻撃を優先。車力ちゃん戦ではダメージ与えるどころか自分以外返り討ちにされてる辺り、意思に対して見合った戦闘能力はなさそう……)
そして『義勇兵を生かす』という、一見『やさしい』行動を取ってますが、要約すると『家畜になれ』と言ってんですよね。
今はよくてもそのうち『あいつの言葉は血が通ってない』ってみんな離れてっちゃいそうだけど、それさえも力でねじ伏せて行きそう。
アニは生い立ちからしても、『自分の価値』が見出せなくて『どうでもいいや』という子。(ある意味『無欲』)
でも父親に対する『怒り』や『憎しみ』はあったから、『無感情』でもなかった模様。
ただ、アニは、島へ向かう直前の父の言葉で、『自分は愛されてる(愛されてもいいの?)』と初めて思ったのでは。
その点を踏まえると、現在のアニは「愛したいし愛されたい」ではないでしょうか。
その愛情が、今後どう動くか注目。
「愛してくれたら愛しましょう」タイプ
ヒィズル、キヨミ様
『見返りを要求する愛』。与えれば与えてくれます。いわゆる『ビジネスライク』。
ただし『与えたものが要求より劣る』と怒られ、『もっと条件の良いものを与えてくれるヤツが現れる』とサクッと切られます。
まあ、ヒィズルは国家間の取引とかビジネス的なものなんで、愛云々とは語弊がありますが……でも、島側が圧倒的に不利なことがわかってるから、足元ガン見してるのは確か。
キヨミ様も立場的にこれだけど、個人としてはどうだろね。『一族の誇りまでは捨ててない』が本物なら、この人も『与えられる人』なんだろうけど。(でも見返りは欲しい)
「愛が欲しければ我に尽くせ」タイプ
初代エルディア王、エルディア帝国、マーレ
なお、どんなに尽くしたところで子種はくれても愛はくれない模様。もちろん自分しか愛していない。
時に優しさを見せる時もあるが、それは自分にとって『利用価値がある』からで、価値がなくなると平気で捨てる。
『暴力で人を支配する』『時々優しくしてつなぎ止める』という点ではDV野郎と同じ。
『見返りを要求する愛』に似てますが、そっちはまだ『あ、それならええわ』と断れる余地があるけど、初代エルディア王の場合は断りの余地も他の選択肢もない辺り、強制力が段違い。
気に入ったヤツ(利用価値がある)には時々ご褒美与えたり優しさを見せたりして、逃げられないようにするのはまさにDV野郎のそれ。
このタイプとユミルちゃんタイプがくっつくと悲惨。しかもこの人の場合、国を超でっかく発展させちゃう力量があったから、同じやり方での支配が長々と続いてしまった悲劇。(家庭内DVなら配偶者と子供だけで済むけど、世界規模って……)
エルディア帝国は初代王の思想そのまんま。マーレも『散々蹂躙しやがって!』と被害者面しておきながら、大嫌いなエルディア帝国とまったく同じどころかそれ以上にひどいことをやらかしてるあたり、歴史は繰り返すんだなぁ。
「愛したいし愛されたい」タイプ
ミカサ、ジャン、ジーク
『苦労したぶんなにかしら見返りが欲しい』タイプ。尽くしたのに素っ気なくされるとガッカリします。
なお、フラれた場合、まともな人は『私のどこがいけなかったんだろう?』と自己を振り返り反省しますが、歪んだ自己愛の持ち主は『こんなに尽くしてあげたのに!』と逆恨みしてストーカー化します。
『見返りが欲しい』と思っちゃうのは人間なんだからしゃーない。そういう意味ではみんなそうなんだけどね。
少なくともジャンはこれ。エレンに対してハッキリと『見返りを求めている』と言ってますし、ミカサにもちゃっかり下心抱いているのは127話でも明らか。
ミカサは『見返りは求めていない』態度を取りつつも、内心『好意を返して欲しい』とは思ってそう。今はどうだろうな……
二人ともフラれたからと言って相手を恨むような子じゃないし、『他者への思いやり』を持っているので、『無償の愛の人』にはすぐなれそう。(問題は相手の有無と、生き残れるのかという点ですが……)
あと、ジークもこれにも当てはまりそう。(複合型)
親売ったのとエレンにキレたのはストーカータイプだったからか……(そういやエレンにフラれた時も親のせいにして自分の行い全然振り返ってねーわこの髭)
弟を『愛したい』『愛してる』と思ってはいるんだけど、それも自分の幻想の中の『都合のいい弟』への愛であって、そうじゃないとわかったらキレるとか、どこか歪んでるんだよな……
このめんどくさい髭と1ヶ月キャンプした兵長のストレスやいかに。(そら雷槍も爆発する)
「平等に愛しましょう」タイプ
エルヴィン
自分自身も含め、良くも悪くも平等なタイプ。肩書き性別年齢関係なしに、自分の目で見た上で人となりを判断し、対応します。
一見『良い人』ですが、逆に『特別扱い』してくれないので、恋人や配偶者は寂しい思いをすることに。
作戦でバンバン部下を死なせたかと思えば、新兵と一緒に死地に突撃しちゃったりと、自分自身も含めて一番『命』を平等に扱ってた気がする……
地下街出身で差別的な目で見られがちな野生のリヴァイをゲットしていきなり手持ちに入れたり(ポ●モンか)得体のしれないエレンに「よろしくな☆」が出来る。『区別はすれど差別はせず』がエルヴィン。
ある意味『神様』なんじゃね? どんなにつつましく生きていようが悪行三昧で生きていようが、時期が違うだけで『死は平等に訪れる』わけですし……
そらこんな人の代わりなんてなれないよアルミン……
「愛されないなら殺しましょう」タイプ
エレン?
『くれないのなら奪ってやる』という狂人タイプ。欲が深く、欲しいものはどんな手を使ってでも手に入れようとしますが、手に入ってしまうと興味を失います。
また、他人に取られるのも嫌なので、取られるくらいなら対象を破壊します。
こういうタイプを恋人や配偶者にすると悲惨。仮に相手のほうから捨ててくれても、他の誰かと交際されるのもムカつくらしく、妨害されたりします。ある意味DV野郎よりヤバい。
9歳にして『人の自由』を奪う強盗が許せず殺しちゃったり、『島民の自由』や『ユミルちゃんの自由』を奪おうとする壁の王や島の外、初代エルディア王が許せず、『自由を奪おうとするヤツから自由を奪ってやる!』と進撃しちゃってるエレンはコレ……に、なるんですが。
エレンの場合は、
未来の記憶を見ている
という前提があるんですよ。
その『未来の記憶』というものがどういうものなのか、それが明らかになるまでは、このタイプに振り分けるのは時期尚早。
詳しくは後述します。
あ、コニーが残った。
コニーは『愛を取り戻したい人』か?(どこの世紀末や)
コニーは一見陽気なヤツなんだけど、ライナー達の裏切りや、家族が村ごと一斉に亡くなったり母ちゃんのこともあって、内心『与える』余裕がなかったんでは。(しかし辛さを周囲にまき散らしたりしない強さがある)
ところがファルコが手元に転がり込んできて、押さえていた『取り戻したい』という欲望が出てきちゃった。この時はそりゃもー悪そうな顔してる。(しかしブレードは逆)
アルミンとの本音のぶつけ合いで心の整理がついたようなので、コニーはこれからサシャ同様『無償の愛』の人になっていくんだろうなと思う。(『※ただし生き延びられれば』な辺り、シビアな世界やなぁ……)
ヒストリアとエレンはどのタイプ?
さて、104期ユミルや同期達との出会いで、父親が与えた『クリスタ』を捨てたヒストリアですが。
『本来のフリーダお姉ちゃん』を目指しているなら、ヒストリアは『無償の愛の人』のはず。
万が一おなかの子が『誰の子でもいいから妊娠した(自分が巨人継承したくないから妊娠した)』だったら『自分しか愛してない』ことになっちゃいますね。
となると、地ならしも『自分が犠牲になるくらいなら外滅びてええわ』ってことになっちゃうけど、それはなんだか不自然です。(エレン的にも許せんと思うよ……)
一度は巨人継承もOKしたんですよ。その時は、それしか方法がないというのもあったんでしょうが、『自分が好きなみんなの未来を守りたい』という104期ユミルばりの『無償の愛』から出た自由意思では?(104期ユミルも『自己犠牲』の人だったと言えるけど、すべては自分が望む未来のためだったので、頭進撃ガチ勢)
でも実際は、妊娠することで継承を回避しました。
つまり『自分が巨人を継承する=クリスタに戻るだけ』だとわかったんでは?(クリスタやユミルちゃん型の『自己犠牲』は『悲劇を繰り返す』だけなので回避しなきゃいけない)
しかしここで気になるのは、なんでそれがわかるの? という点。(『島外皆殺し』のほうがよっぽど悲劇やろ……)
エレンは『4年前にグリシャパパの記憶を通じて自分の未来の記憶を見た』と言っていました。
この時、ヒストリアも記憶を見たんでは?
基本的に、巨人継承者が見る記憶って、『自分が受け継いだ過去の巨人継承者の記憶』だけなんですよね。
ただ、例外なのがヒストリア。
やはり王家の血のおかげでしょうかね? ジークもエレンとデコごっつんでエレン(他人)の中にある過去継承者の記憶を見に行っちゃってるし。むしろ巨人継承しているぶん、ジークのほうがヒスより強力。(エレンも始祖ユミルちゃんの記憶見てるけど、『すべての巨人の過去継承者』と考えると不思議ではない?) 手へのキスの後、一拍置いてびっくりした顔してるんで、
グリシャ→未来の継承者(エレン)の記憶を見た
エレン→エレンの記憶を見た過去継承者(グリシャ)の記憶を見た
ヒス→グリシャの記憶を見たエレンの記憶を見た
こういう流れで見ちゃってても不思議はない?(まあ、エレンのすげー顔に驚いてる可能性もあるけど)
エレン的にも、すでに記憶を見ちゃったヒストリアは他のみんなみたいに突き放すことが出来ず、共犯にせざるをえなくなったとか?
常識的に考えて、『島の外滅ぼす』ってそれだけで十分悲劇のはず。
それに今のエレンも『自分を犠牲にしている』ように見えます。
ヒストリアの自己犠牲は回避出来ても、エレンがエレンを犠牲にしたら、それもまた悲劇の繰り返しでは?
なのに進撃したということは、エレンが見た『未来の記憶』というものは、『島民が生き残る希望(島の外も?)』に繋がるものであり、『自己犠牲』ではないんじゃないでしょうか。(だから『俺の自由意志だ』とわざわざ宣言した?)
そうなると、ヒストリアだけでなくエレンもまた『無償の愛』の人? 知らんけど。(エレンは『無償の愛』と言うには過激すぎやしませんかね……)
2020/5/10
動画でもヒストリア考察してみました。
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