【鬼滅の刃】サイコ童磨の牧場物語 前編 目的のために戦った狛治と手段しかなかった童磨【考察】
『鬼滅の刃』の上弦の弐・童磨メインの考察です。童磨、カナヲ、伊之助あたりのことを三回に分けてお送りします。
今回は童磨メイン。猗窩座との違いなんかも。
- 『劇場版「鬼滅の刃」』の、第二章以降の原作ネタバレを含みます。ネタバレが困るアニメ勢はご注意を
- 個人の感想です。需要と供給のバランスなんぞ知ったこっちゃありません
サイコパス童磨の不幸な生い立ち
笑顔を絶やさないようしてたしのぶが、ようやく『自分の怒り』を爆発させたのが童磨戦。
お顔もそうだけど、映画じゃ声にドス効いてて、こっちが本来のしのぶだとすると、那田蜘蛛山は相当抑えてたんだな……
さて、サイコ感あふれる童磨だけど、『生まれや育ち』を考えると、同情出来る点もあるんだよね。本来、大人から守られるべき幼子の頃から、ええ年こいた大人達に『お助けください教祖さま!』なんて泣きつかれるとか……
そしてそれを率先してやってたのが実の親っていう逃げ場のなさ……!
本人はガチで困ってたんだろうなコレ……
![鬼滅の刃 第142話 蟲柱・胡蝶しのぶ[吾峠呼世晴 / 集英社]](https://asuhon.sakura.ne.jp/dshonki4120/wp-content/uploads/kimetu142_01.jpg)
鬼滅の刃 第142話 蟲柱・胡蝶しのぶ[吾峠呼世晴 / 集英社]
人間時代は酒好きだったらしいけど、酔っ払ってねぇと教祖なんてやってらんなかった……???
うーん、童磨がフツーの家に生まれてたんなら、それはそれで見た目のことで気味悪がられる世界線もあったかもしれないと思うと、たとえ頭が残念(童磨談)であったとしても『この子は特別!』とチヤホヤしてくれるだけ、『いい両親』だった……???
まあ、女狂いと激情型で全部マイナスになったけど……(白目)
原因は環境か本質か
『親』や『環境』が悪くて『悪の道』に走る人はいると思う。妓夫太郎と梅ちゃん兄妹とか。
でも童磨の場合は、生まれた時からそうだった。
つまり『親や周囲の環境』と、『童磨本人が持って生まれたサイコパスな気質』は関係ないってことなんだよなぁ。
『痛む心』がないから、どんな親、どんな環境だったとしても、とっかかりがあればいくらでも人を食い物に出来る。教祖じゃなくても詐欺で生計立てるとか。
![キメツ学園! 第14話 狛犬奔走[帆上夏希 / 吾峠呼世晴 / 集英社]](https://asuhon.sakura.ne.jp/dshonki4120/wp-content/uploads/kimetsu_gakuen_014_01.jpg)
キメツ学園! 第14話 狛犬奔走[帆上夏希 / 吾峠呼世晴 / 集英社]
童磨「で、それがキメツ学園の俺ってワケ☆」
たぶん童磨って、鬼になってなくても、人を『食い物』にすることは変わりなさそう。いただくのが『命』か『金品』かの違いがあるだけで。
テイカー童磨の他者へのやさしさ
童磨本人は、幸せにして『あげる』だの、救って『あげる』だのと、『自分はギバーだ(与える側)』と思ってる『つもり』のようだけど、がっつり『テイカー(奪う側)』だよねこの人……あなた、『不幸な人を救う』っつーとるけど、不幸な人を『なくす』つもりは毛頭ないやろ。
![鬼滅の刃 第142話 蟲柱・胡蝶しのぶ[吾峠呼世晴 / 集英社]](https://asuhon.sakura.ne.jp/dshonki4120/wp-content/uploads/kimetu142_02.jpg)
鬼滅の刃 第142話 蟲柱・胡蝶しのぶ[吾峠呼世晴 / 集英社]
一見、かわいそうな人に尽くして安らぎを与えているようで、実際は高い所から『エサ』を与えて『依存』させ、ペットのように飼ってるだけ。
そして最後は、文字通りおいしくいただく。(物理)
『ペット』というより『家畜』だねコレ。
童磨にしてみりゃ、『信者』って自分が飼ってる『家畜』だから、そりゃ飼い主として大事にお世話するよね。そうすることで自分も『家畜』になつかれ、『いい気分』になる。
そして最後は、骨まで残さずおいしくいただく。
童磨にとっては、『牧場主』として『あたりまえの仕事』してるだけなんだわ。
『ただの女の子』でありながら、『鬼による不幸な人が現れない世界』を目指して、命を賭けて困難に挑んだ胡蝶姉妹とは真逆。
鬼の中の鬼
童磨的には『かわいそうな人にこんなに尽くしてあげて、オレはなんてやさしいんだ!』と思ってたようだけど、それは『喰われることを知らない愚かでかわいそうな家畜』に『いい顔』してただけ。『人間扱い』はしてない。
現に童磨の人に対する態度も発言も、すべて『家畜』に対するそれだった。
だからしのぶはキレた。
童磨って、実に『鬼らしい鬼』だと思うわ。女性限定とはいえ、人のこと、とことん『食い物』だと思ってるもん。
まー、女狂いのとーちゃんそっくり。(嫌味)
でもこれ、一周回ってむしろ『人間らしい』のかもしれない。
童磨がやってたのは、人間が『人間以外の生き物』にやってることだもんな……人と鬼って、『鏡に映った自分』みたい。
ただ、人と鬼が違うのは『責任』の有無。
農家さんは、いい加減なものを作って消費者からの『信頼』を失えば廃業するし、時には伝染病とかで家畜すべて殺処分なんて損害を被ることもある。社会や消費者に対する『責任』があるから。
童磨は全部自分が消費するから、自分の好きなように扱った。だから誰に対しても『責任』が存在しない。『自己完結』してるから。
教祖なら信者を幸せにする『責任』があるはずなんだけど、童磨の考える信者への『責任』って、『おいしく食べてあげること(俺のため)』だからなぁ……とことん家畜扱い。
無惨をも食い物にした男
『教祖』のお仕事に無責任だった童磨だけど、『上弦の弐』のお仕事に対しても無責任だった。
『せや! 何体か御子作って鬼殺隊けちょんけちょんにしたろ!』って思いついたの、だいぶ経ってからですよね……?
![鬼滅の刃 第161話 蝶の羽ばたき[吾峠呼世晴 / 集英社]](https://asuhon.sakura.ne.jp/dshonki4120/wp-content/uploads/kimetu161_01.jpg)
鬼滅の刃 第161話 蝶の羽ばたき[吾峠呼世晴 / 集英社]
無惨的には『遊んでねーで最初っからそれせぇや!』だったろーなぁ……
童磨は『情報は有益。今後の戦いに活かそ』と、毒喰らってあげたのも、舐めプしてカナヲと伊之助に技出し切らせたのも、まるで『ちゃんと理由があってやってますよ☆』感出してたけど、今後も何も、鬼殺隊が壊滅すりゃあそんな情報もういらないですよね……?
これも無惨からすりゃあ『自分が遊ぶことを優先して私の命令(鬼殺隊殲滅)を後回しにした』だよなぁ……『(無惨の)必要』にならんようがんばるのが童磨の仕事やろ。
童磨って、無惨すらも『食い物』にした。
鬼になったのも、『人間の感情』というものが知りたくてなってみただけ。その後、鬼になったからと言って、特に人格が変わるわけでも暮らしぶりが変わるわけでもなく、むしろ好都合ですらあったという……(宗教と鬼の相性が良すぎた……)
だいたいの鬼は記憶なくしたり人格歪んだりしてんのに、こいつだけ人間時代からなんも変わらんのね。
童磨って、ある意味一番無惨を有効活用してた……?
そんなだから無惨様から嫌われるんですよ!
童磨「何でそんな酷いこと言うのかな?」
そーいや無惨、終わらせようとする猗窩座は引き留めに来たのに、童磨だけはそーいうことなかったわ。
童磨は『神の声』なんて一度も聞こえなかったようだけど、無惨様の声も聞こえなかった模様。
童磨が生まれてきた意味
童磨に『心』があって、両親に対して多少は『悲しい』や『寂しい』って感情を抱いてくれりゃあ、両親にとって『童磨の存在』は意味があったかもしれない。
童磨が信者を食い物にしたりせず、幸せになれるよう社会復帰を手助けしていれば、童磨は本当にすばらしい『救世主様』として、『意味ある存在』になったかもしれない。
だけど童磨は、何に対してもまったくの無感情だった。
『両親の死』にもなんの感情も湧かず、信者も自分が喰って消費した。
一方しのぶは、『己に課した使命』のために戦った。そして同時に、柱として、後輩や仲間に対する『責任』も背負っていた。
だから後を継ぐ後輩が有利になるよう、『損な役割』は自分が担い、後のことは繋いでくれる『誰か』に託した。
![鬼滅の刃 第163話 心あふれる[吾峠呼世晴 / 集英社]](https://asuhon.sakura.ne.jp/dshonki4120/wp-content/uploads/kimetu163_04.jpg)
鬼滅の刃 第163話 心あふれる[吾峠呼世晴 / 集英社]
しのぶは、仲間達にたくさんのものを残して散ったけど、自分の欲望と自己満足のためだけに生きた童磨は、すべて『自己完結』で終了し、後には何にも残らなかった。
カナヲに『あなた、何のために生まれてきたの?』と言われて反応したの、自覚してたなこりゃあ……
目的があった狛治、手段しかなかった童磨
童磨って、猗窩座とも逆だよね。
猗窩座が強さを求めたのは、狛治だった頃、父ちゃんや恋雪達、『愛する者を守るため』という『目的』があったから。
狛治にとって、『強くなる』ってのは『手段』であって『目的』じゃない。
狛治は『目的』を奪われてしまったがために、人の心を失い、『手段』が『目的』となった鬼と化した。
だけど『目的』を思い出したことで、『人』に戻った。
一方、童磨は『手段』のために生きて来た。
『目的』を生み出すのが『感情』であるなら、その『感情』が欠落してる童磨には、『目的』なんてものがそもそも発生しない。『目的』がないので『やりたいこと』も発生しない。
なので、親から与えられた『お役目』を、疑問も持たずにずーっと続けられた。『都合が良かった』のもあるだろうけど、『それが自分が生まれて来た意味だ』と理由付けして。
だけど『目的』のない童磨にとって、それらは結局『手段』にしかならなかった。
童磨のコンプレックス
童磨にとって、親に与えられた『教祖様』としての役割は自分が生きてくための『手段』にしかならず、『鬼』になったことも、『上弦の弐』としての役割も、自己満足のための『手段』にしかならなかった。
![鬼滅の刃 第163話 心あふれる[吾峠呼世晴 / 集英社]](https://asuhon.sakura.ne.jp/dshonki4120/wp-content/uploads/kimetu163_05.jpg)
鬼滅の刃 第163話 心あふれる[吾峠呼世晴 / 集英社]
せっかく『鬼』になったってのに、人間時代とやってることも感じることも変わらなかったって、それこそなんの意味もなかったってことじゃん……
結局童磨って、カナヲが言った通り『中身カラッポ』で、『感情』らしい『感情』がなくて、『生き方』も『生まれて来た意味』さえも、親から与えられたものをそのまま使ってるだけで、それがコンプレックスだったんだろーな……
そしてそれを指摘するのが、『感情』を失った(と思われてた)カナヲという皮肉。
猗窩座のほうが、よっぽど『鬼らしくない鬼』だった。自己研磨に励み、『正々堂々』を好み、『女は喰わん!』と決めたら意地でも喰わない。
結局、鬼になっても『人間時代の生き方』が出ちゃうんだね。
それでは今回はこの辺で。
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