【メダリスト】score53 司の過去から読み解く献身の謎 考察【動画版】

『メダリスト』のscore53『人魚と刃』で語られた司の過去についての、YouTube用に作成した考察動画です。
同好会の大人達や、今の司になった理由など、そのあたりに要点を絞って考察しています。
ブログもそうだけど、YouTubeのサムネイルって悩むよね。
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動画使用テキスト
今回は、score53『人魚と刃』で語られた司の過去について考察します。
司は、相手が誰であろうと、その言い分に対して割ときっちり言い返す人です。
しかし、最初からそうだったわけではなく、その土台となったのは、『大人に言い返すことが出来なかった少年時代の自分』の影響がとても大きかったようです。
かつての司少年は、所属していた同好会の大人達の『言葉の呪い』によって、自分を抑圧してしまった子でした。
一見、司が『かわいそうな子』で、大人達は『子供の可能性を摘み取るひどい人』のように見えますが、果たしてそうでしょうか?
司によると、同好会の大人達は、みんな『いい人』だったそうです。
しかし言い方を変えると『子供を守らない大人と非難されたくない大人』でもありました。
彼らは『いい人』だったからこそ、無責任なことを言って司を『その気』にさせないようにしました。その気にさせて司が大ケガや挫折で傷ついたら、『そそのかした大人達のせい』になってしまうからです。
つまり彼らは、『無責任』だったのではありません。むしろ、かつてのいのりママと同じで、『子供を傷つけてはいけない』という『大人としての責任感』から、ジャンプ練習を阻止しただけの『やさしい大人』だったのではないでしょうか。
だからこそ、『正しい対価』を支払う必要があったのです。
『対価をもらったコーチ』ならば、生徒の『挑戦』を後押しするのがお仕事です。
しかし彼らは、ただの『アマチュアスケーター』 であり、『同好会の仲間』に過ぎません。
司の親でもコーチでもない彼らには、『司の人生』を背負う『責任』は存在しないのです。あるのはせいぜい『子供をケガから守る大人としての責任』です。
そのあたりのことを理解していた司は、大人達を安易に『悪者』にするようなことはしませんでした。『やさしい子』であると同時に『かしこい子』と言えます。
だけど同時に、自分が『悪い子』になる『勇気のない子』でもありました。
この頃の司が本当になるべきだったのは、『素直ないい子』ではなく、『反抗的な困った子』だったのではないでしょうか?
司少年は『いい子すぎた』が故に、自分の『予測不能な未来』を、親や他人に背負わせることに『罪悪感』がありました。その『罪悪感』がストッパーになってしまい、訴えるべきことを訴えられず、自分に言い訳をしながらズルズル過ごしてしまったのです。
その『罪悪感』は『他者へのやさしさ』と言えますが、同時に、『笑いものにされたくない』という自己保身でもありました。そのために『挑戦したい』と訴える『司の本心』を粗末にしたのです。それを思い知ったのが、匠先生の元に来てからです。
つまり司は、『やさしい人』なのではなく、人一倍『己に冷たい人』なのです。
その『冷たさ』は『己への厳しさ』となり、今度は無茶な特訓で自分を痛めつけてしまいました。周囲への劣等感から、自分を粗末にする司を止めてくれたのが瞳さんです。
そらこんな過去があれば『犠牲』を推奨するピカるんにブチギレもするでしょう。彼女の言葉は、司の『我が身の犠牲』を阻止してくれた瞳さんへの侮辱も同然です。
夜鷹に対してもそうです。『その場』で噛みつかなければ、それは『今の司』が『過去の司』に敗北したことになります。いのりからの『信頼』も失うでしょう。
司が戦ったのは、夜鷹でも光でもなく、かつての『弱かった自分』でした。
結果はどうであれ、ちゃんと反撃した時点で『過去の司』にはすでに勝利しているのです。
とてもえらいので、司には『つよい子メダル』を贈呈しちゃいます。
さて、かつての司は、意図していなかったとはいえ、結果として『大人達』を『いい人』にするために、自分の『挑戦したい』という本心を『犠牲』にしてしまいました。
そして『己への厳しさ』故に、全日本の結果ですっかり自信をなくしてしまったわけですが、そんな凍ってしまった司の心を沸騰させたのがいのりです。
いのりの『勇気』は、加護さんや瞳さんの『説得』では溶かすことが出来なかった司の心を、『感動』で沸かしました。
いのりのコーチとしてスタートを切った司は、『これまでの自分の経験』をフル活用し、時に恥も外聞も投げ捨てて、献身的に尽くしました。
『献身』は、ヘタをすれば『自己犠牲』になりかねないのですが、『犠牲』になるのは、やったことを『後悔』した時だと思います。少なくとも司は、いのりのコーチになったことを『後悔』していません。
なぜなら司は、『いのりのコーチになる』と決めたことで、『辛かった自分の過去 』を、『犠牲』から『未来への糧』に消化することが出来たのです。
いのりは、『司先生に救ってもらった』と思っているかもしれませんが、そのままだと『後悔ばかりの辛い過去』にしかならなかった『司の少年時代』を救ったのは、他でもないいのりです。
司が、同好会の人たちと今でも顔を合わせたら談笑出来るということは、いのりとの出会いによって、かつて憎んだ『弱い自分』を許し、大事に出来るようになったということなのでしょうか。
それでは今回はこの辺で。
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