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同志少女よ、敵を撃て 感想と考察 自由の奴隷のアヤと自由な奴隷だったオリガ

同志少女アイキャッチ

たまには進撃以外の考察でもということで、以前、ちょろっとオススメしたのですが、今回は逢坂冬馬氏の『同志少女よ、敵を撃て』の感想と考察です。

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主人公・セラフィマは、外交官を目指していたロシアの田舎村の少女。
猟師の母と狩猟に出かけ、帰ってくると村がドイツ兵に占領され、村人は虐殺、母はスナイパーに射殺され、自分も●されそうになってたところを、後の教官・イリーナ率いる赤軍に助けられます。
ところが、そのイリーナに母と村人達の遺体を村ごと燃やされ、母を撃ったスナイパーとイリーナへの復讐のために狙撃手になり、戦場で敵を撃つ……といった流れ。
この部分は電子書籍版なら無料で読めます。

NHKのサイトに作者の逢坂さんのインタビューが掲載されているので、まだ読んでいない方は、こちらを見たほうが早いかと。

同志少女よ、敵を撃て 本屋大賞受賞 逢坂冬馬さんインタビュー|NHK

  • 個人の感想と考察です
  • 思いっきりネタバレしてますんで『ネタバレバッチコーイ!』な方のみどうぞ
  • 軽く進撃の巨人が混じっちゃうのは勘弁してやってください

ちなみに歴史オンチなんで、時代背景とかの考察よりも、キャラ別の考察です。
主人公から……と行きたいところですが、考察がまとまったキャラから。

卑劣な大人の犠牲者・バロン

いきなりわんこから。
バロンはいわゆる軍用犬のシェパード。進撃の巨人で言うところの、マーレにシッポ振ってた頃のガビ。

進撃の巨人91話[ 諫山創 ]

進撃の巨人91話[ 諫山創 ]

バロンって『卑劣な大人の犠牲者』だったよね。

そしてその末路は、これまた進撃で言うところの爆弾つけて特攻を命じられたマーレ系エルディア人みたいなもんだった。敵の戦車が出てくると、何も知らぬまま訓練通りに敵戦車の下に潜り込み、身に着けた爆弾爆破されるという……
まあ、バロンは先に爆発した犬を見てパニックを起こし、自陣に逃げ帰ろうとしたけど、自陣での爆発を阻止するため、味方に射殺されるというもっと悲惨な死に方になったけど……

バロンにしてみりゃ、『ひどい裏切り』だよね。
そして直接バロンをかわいがってたセラフィマも、バロンがそんなことに利用されるなんてまったく知らなかったから、『大人の非道』にだまされたようなもん。

結局、バロンを撃ったのはアヤだったけど、バロンからすりゃあセラフィマに撃たれたも同然。
この瞬間、バロンにとってセラフィマは『自分をだました悪い人』になった。

『軽い命』だったバロン

たしかに『コスパはいい』かもね。犬1匹で戦車を倒せるなら。
そんな方法考えつくなんて、むしろ『人の命』を大事にしてるかもね?(嫌味)

でもさ、『セラフィマ達がバロンをかわいがる必要』はなかったんじゃない?

バロンには、『訓練する人』と『甘やかしてくれる人』がいて、セラフィマ達は後者になるよう言われていた。
セラフィマ達は『伝令のための軍用犬』と思っていたからふつーにバロンをかわいがり、バロンもセラフィマ達になついて、互いに愛情と信頼を深めていったわけだけど、それ、『訓練してた人達』でやれば良かったじゃん。

なのに、何も知らない他人にやらせた。なぜならバロンを『どう使うか』を自分達は知っていたから。
つまり、自分達がバロンの『悪い人』になるのが嫌で、何も知らない訓練兵に『嫌な役』を押し付けたわけだよね?

大人達は『従順な犬』が欲しかったから。そのためには『愛』が必要だった。
だけど自分達が『愛』をかけたら罪悪感で自分が辛くなる。だから何も知らない若者の『愛』を利用した。

まんま、初期のガビだなこれ……マーレも『従順な犬』が欲しくて、『都合のいいこと』ばかりを吹き込んでエルディア人の子供を育てた。
そうして育った大人達に育てられたガビは、『従順な犬』に育った。

進撃の巨人94話[ 諫山創 ]

進撃の巨人94話[ 諫山創 ]

他のエルディア人も、爆弾つけて敵に特攻させられそうになったり巨人にされたりした。まさに『軽い命』だった。
彼らはまだ、宿命を呪ったりマーレを憎んだりすることが出来た。『マーレへの忠誠』も『暴力』によってさせられているだけだったし。

でも、犬のバロンは何も知らなかった。『その訓練がなんのための訓練なのか』も知らず、素直に覚えた。人を信頼していたし、愛していたから。
そして何も知らないまま●された。『信頼』していた者達に。
『犬』には、怒ることも憎む暇すらも与えられなかった。

その結果、バロンを訓練した大人達は『戦車をやっつける』という『利益』を得て喜んだけど、実際にバロンをかわいがっていたセラフィマの心には『バロンへの大きな罪の意識』だけが残った。

大人達は子供や犬の『無知』を『自分達の利益』のために利用し、『罪』を何も知らなかった子供に押しつけた。

『自由の奴隷』のアヤ

アヤは進撃の巨人で言うところのエレン・イェーガーさんでした。アヤはメンバーの中で最初の犠牲者だったけど、エレン、あなたも本来は1巻で死んでた人だからね……?

進撃の巨人131話[ 諫山創 ]

進撃の巨人131話[ 諫山創 ]

アヤは最初から成績優秀で孤高な感じの子だったけど、実は片付けが苦手という人間くさいところを見せた矢先にお亡くなりになるという……

彼女の不幸は『優秀であった』が故に『強力な武器を使う機会』に恵まれてしまったことだと思う。
作中では、初めての実戦であっという間に劣勢をひっくり返し、バンバン敵をやっつける万能感に浸っていく姿が描かれています。

言い方は大げさだけど、戦況を好転させた時のアヤはまさに『神様』にでもなった気分だったのだろうと思う。強大な力を手に入れ、周囲にいる『みんなの』生殺与奪の権を握っている気分になっていた。

だからイリーナの静止も聞かなかった。なぜなら自分は『神様』だから。

アヤがまだ2番目、3番目の成績なら、イリーナの声を聞いたかもしれない。
しかし成績トップで、初めての実戦でも敵をバンバン倒したアヤは、『この場で一番すごいのは私』と言わんばかりに『傲慢』になってしまったんじゃない?

私としては、その『傲慢さ』が、『狙撃兵としての基本』だけでなく『人としての基本』である『仲間達への思いやり』や『感謝の心』も忘れさせたのだろうと思う。
もし『仲間達への思いやり』がちょっとでも残っていたら、イリーナの制止も聞いたかもしれない。『敵を●すこと』より『みんなで生き残ること』を考えたかもしれない。
しかし『神様』になってしまったアヤは、『仲間』よりも『自分の快楽』を優先してしまった。それが『自由だ!』と勘違いしていたから。

アヤの『戦う理由』

イリーナに戦う理由を問われた時、アヤは『自由を得るため』と答えた。
訓練兵を卒業する時もそう答えた。

ちょっとここで、卒業日のアヤとセラフィマの会話を一部抜粋。
アヤはセラフィマに、

「射撃の瞬間、自分は自由でいられる」

と答えた。そして、

「自分が変わってしまうのは、錆びるみたいで、とても嫌だ」

とも言った。
そんなアヤにセラフィマは、

「仲間が出来るのが錆びなら、錆びるのも悪くはないと思うけど」

と言ったけど、それに対してアヤは、

「その答えは、先ほどお前自身が述べた」

と返した。
この会話を簡単に要約すると、アヤは『仲間なんていらない』って言ってんですよ……だって『射撃の瞬間』は『常に1人』だから。その『射撃の瞬間』をアヤは『自由』だと言っている。

なぜそう思うのかというと、上記の会話のちょっと前に答えがあった。

「射撃の瞬間の境地。自分の内面は限りなく無に近づき、果てしない真空の中に自分だけがいるような気持ち。そして獲物を仕留めた瞬間の気持ち。そこから、いつもの自分に帰ってくる感覚」

この『感覚』を、元々猟師だったセラフィマは理解した。
アヤが言った『先ほどお前自身が述べた答え』とはこれのことじゃないの? 
セラフィマは『自分の発言のどれか』だと思ったようだけど、そうではなく『態度』で答えを述べていた。

さて、ここでもう一度、アヤのこの言葉。

「射撃の瞬間、自分は自由でいられる」

皮肉なことに、この『自由』がアヤの寿命を縮めた。

アヤがイリーナの制止を聞いていれば、アヤは死ななかったんですよ。
だけどこの時のアヤにとって、『仲間』は『錆び』であり、『自分の自由を邪魔する存在』でしかなかった。
なぜなら『仲間』という存在は『自分を変えてしまうもの』だと思っていたから。だから無視して射撃を続けてしまった。
『自由』に溺れていることにさえ気づかず、『いつもの自分に帰ってくる』ことが出来なくなってしまった。

もしアヤに『錆びる自分』を受け入れる勇気があれば、『仲間達』を目印に『いつもの自分』に帰ってくることが出来たかもしれない。しかし彼女は、『勇気』が育つ前に戦場に放り出され、『臆病な少女』のまま戦うことになった。

結局アヤは、『孤高』だったのではなく、ただの『臆病な少女』だった。

なんかアヤってバロンと逆だよね。
バロンは『人との信頼関係』を結んだ結果、『自由』を奪われ、アヤは『人との信頼関係』から逃げた結果、『自由』を失った。
しかも、バロンを撃ったのがアヤで、アヤを撃ったのがバロンが爆破するはずだった戦車ってのも皮肉だよなぁ……

アヤが求めた『自由』

アヤは敵を撃ちながら『これが自由だ!』なんて笑ってたけど、そもそもアヤは『自由とは何か』を理解してなかったんじゃない?

理解しないまま、実態のない『自由』というものを求めていた。だから『自由』を勘違いした。
過去の進撃考察でも書いたけど、『自由』と『責任』はセット。

『自由』なき『責任』はただの奴隷。
『責任』なき『自由』はただの身勝手。

アヤが抱いた『これが自由』は、『ただの身勝手』だった。
アヤは結局、『仲間を守る』という『責任』を放棄し、『自分の快楽』のために人を●していただけ。イリーナの制止を聞かなかったのがその証明。

もちろんアヤだって、最初は『優秀であるがゆえの責任感』から、戦車を撃ちに行ったのだろうと思う。
訓練兵時代、最終試験ではリーダーとしてメンバーを指揮し『イリーナの教え』を忘れないよう仲間達に伝えてたんですよ……
バロンのことだってそう。セラフィマが撃てずにいると、代わりに撃ってくれた。『狙撃手』として、そうしなければならない『責任』があったから。

でも、やっぱまだまだ『子供』だったんだよね……中学・高校生くらいの年頃でしょ?
しかもそこは初めてのガチ戦場。傍目には平然としてるように見えたって、自分のことでいっぱいいっぱいだったんじゃないの?
そこに『その場にいる味方全員の命の責任』まで乗っかってきたら、キャパオーバーでおかしくなっても仕方ない気もする……

セラフィマが、笑いながら敵を撃つアヤに『邪念に取り憑かれた悪鬼の如き妄執』を見たのは、アヤ本人が気づかぬうちに『戦争』という『異常な状況』に飲み込まれていたからだと思う。
だから訓練の時は覚えていた『イリーナの教え』を、『戦場』という『異常な状況下』では思い出せなくなっていた。

ここで、各自の『戦う目的』を聞いた後のイリーナの言葉を一部抜粋。

「お前たちはそろいもそろって人形のように空っぽだ。起点を持てと私は言った。そしてそれを戦場では忘れろとも言った。起点すらないようでは話にならない。(中略)常に自分は何のために敵を撃つのかを見失うな。それは根本の目標を見失うことだ。そこで死を迎える」

『起点』とは『物事のはじまり』のこと。
イリーナが各自に問うた『戦う目的』を『起点』とするなら、アヤの起点は『自由を得ること』だった。

しかしイリーナは、それを『戦場では忘れろ』と言った。

なのに『何のために敵を撃つのかを見失うな』とも言った。

要約すると、イリーナが言いたかったのは『戦場で敵を撃つのに私情出すんじゃねぇ』ってことだろうね……

アヤはその教えを忘れ、『これが自由だ!』と、『己の欲望(起点)』のために敵を撃ち始めた。
戦場での『何のために敵を撃つのか』は『任務遂行のため』『仲間を守るため』じゃなきゃいけなかったのに。

その瞬間から、アヤは『自由の奴隷』になった。

『ただの身勝手』を『自由』と勘違いし、その『勘違いした自由』に支配された自由の奴隷。
戦場で『起点を忘れる』ことが出来なかったアヤは、『根本の目標』を見失い、イリーナの言った通り、死を迎えた。

その結局、仲間達はアヤと最後の対戦車武器を失い、絶体絶命のピンチへと陥った。

味方戦車の到着がもうちょっと遅ければ、戦に勝つことは出来ても、セラフィマ達は確実に死んでたよねコレ。そうなりゃアヤは『教訓』すら残せなかったわけで。
その後の戦場でも『アヤがいてくれれば……』という局面に遭遇し、仲間達に『大きな損害』を与えた。

『自由の奴隷』では、何も得られず、何も守れないことを証明した。

結局アヤは、狙撃に関しては『天才』だったかもしれないけど、人としては『まだまだ未熟な少女』に過ぎなかった。
それってつまり『ふつーの女の子』だよね?

『ふつーの女の子』だったから、勘違いもするし失敗もする。
スポーツ選手でたとえると、『天才少女』として国内の大会で優勝しまくってた子が、オリンピックで初めて失敗し、挫折を味わうようなもん?

けど、悲しいけどこれ戦争なのよね。

『失敗』『挫折』は『死』を意味し、それが許されない世界にアヤはいた。

逆に、そういった勘違いをすることなく、どんな状況でも『自分を保ち続けることが出来る人』こそが『特別な人』と言える。
そういう意味では、自分が撃った敵兵のことを想い、アヤを想い、素直に声を上げて涙を流すことが出来たセラフィマ達は『特別な人』だった。

孤高の『大女優』オリガ

個人的に割と好きな子でした。進撃の巨人で言うところの104期ユミルの姐さんだったと思う。

進撃の巨人40話[ 諫山創 ]

進撃の巨人40話[ 諫山創 ]

未熟故に『私欲』に走ってしまったアヤとは逆に、『任務遂行』に徹した子だったなぁ。

オリガは当初、進撃で言うところのイェレナ的な感じだった。めっちゃフレンドリーな子だったんで、セラフィマ達はついつい信頼して身の上を話してしまった。
ところが彼女の正体は『同志が裏切らないよう見張るための組織に所属するスパイ』であり、フレンドリーだったのは、彼女たちの情報を集めるための演技だった。
なもんだから、正体バレの後はセラフィマ達もオリガに冷たくなるのはしゃーない。

でも『セラフィマ達を傷つける嘘』はついてなかったんですよ。

『上手な嘘のつき方』として『時折事実を混ぜる』というやり方がある。

進撃の巨人110話[ 諫山創 ]

進撃の巨人110話[ 諫山創 ]

たしかにオリガは、目立たないようするために、訓練兵時代は実力を隠していた。
でも、セラフィマの本心を聞き出すべく語った身の上話や、『コサックの誇りを取り戻す』という、『オリガの起点』となる『一番重要な部分』は『本物』だったよね?

そして彼女は、『セラフィマ達の理解者』でもあった。
それが『任務のため』だったとはいえ、オリガが『セラフィマ達を知る』努力をしたことに変わりはないわけで。

オリガが偽っていたのは『キャラクター』。

地獄のツンデレ女神

セラフィマ達はオリガが演じていた『キャラクター』を『オリガだ』と思っていたから『だまされた!』って気分になって腹を立てたけど、仮に『正体伏せたまま』だったとしても、その後の『オリガの行動』そのものは、特に変わらなかったはずなんですよ。

たしかに名目上は『セラフィマ達の見張り』ではあったけど、『所属』が違うだけで、同じ戦場で共に行動し、共にメシを食い、共に『敵を撃つ』ことに違いはなかったわけで。

むしろ裏切りや違反行為を阻止することで、みんなを守ってすらいた。

たとえばサンドラの時は、『敵兵の愛人』とあばいたことで味方を守ろうとした。
そしてサンドラ自身のことも、一見責めてるようでいて、ちゃんと『サンドラの気持ち』を引き出してあげたり、発煙筒渡して協力した『実績』作らせたり、後で手紙を出せるよう自分らの部隊名教えたり……いやあんた、めっちゃサンドラの安否心配しとるやん!

即死出来ず、火だるまになって苦しんでる味方の兵士に『士気喪失』と称して自分の手で『慈悲の一撃』与えた。ほっといたって死ぬし、他の人にやらせたってよかったのに。
でも彼女は、他の人に『味方殺し』なんて嫌なことさせず、かといって苦しむ同胞を放置もせず、自分が『嫌な役』を買って出とる……『私はNKVDだ(仕事でやったから気にすんな)』と言って。

ドイツ人捕虜にだって、「どんな大人になりたかった?」なんて、本来『聞いても意味のないこと』じゃん……
そして「サッカー選手になりたかった」と答えた捕虜に、オリガも「私は女優になりたかった」と答えた。
オリガは『嘘偽りのない回答』をしてくれた相手には、自分も『嘘偽りのない回答』をちゃんと返してるんですよ……
捕えた捕虜にセラフィマを『真面目で心優しい子』なんて語ってたけど、あんたが一番真面目で心優しいよ!

なにこの女神? ツンデレなの? だまされないから!

孤高のオリガ

とにかくオリガは筋通ってた。セラフィマ達からすると嫌われポジションだったけど、彼女自身は周りからどう思われようと『自分の役割』を徹底的に果たしただけ。むしろその『役』を利用すらしていた。

そんなオリガの最期のお言葉。

「くたばれ、アバズレ小隊。くたばれソヴィエト・ロシア。私は誇り高いコサックの娘だ」

まあ、暴言吐いてんだけど、最期まで嫌われ役を貫くことで、セラフィマを悲しませまいとするやさしさを感じるわ……いやあんた、セラフィマのこと大好きでしょ。(なお、アバズレ小隊もお望み通り解散)

だってオリガは、危うく戦争犯罪しそうになってるセラフィマを止めてあげたり、いなくなったセラフィマが敵地に行ったと真っ先に気づいたり、追跡戦を許可するよう動いたり、仇討ちを果たすヒントを与えたり……ここまでやって『べっ、別にあんたのことなんか好きでもなんでもないんだからね!』って言ったところで、説得力どこーーーーーー!?
ヘタすりゃ、イリーナよりセラフィマのこと理解してなかったかオリガちゃん……

作中で、セラフィマが『孤高』と思ってたのはアヤだったけど、アヤは『孤高ぶってた』だけ。本物の『孤高の女』はオリガだった。

そんな彼女を撃ったのが、『仕方なかったんです! そんな俺の辛さもわかってください!』という責任逃ればかりの『情けない男』だった。

その『情けなさ』が、逆に『セラフィマの闘志』に火をつけた。

オリガが叶えた夢

オリガはいまわの際まで『仕方なくやったの。私の辛さもわかって☆』なんて言わなかったよね……むしろその逆を貫いた。一周回ってむしろ誠実。

いきさつはどうあれ『その道』を選んだのは自分だから。

後悔がまったくないわけではないだろうけど、オリガは『オリガの責任』で『自分が選んだ道』を突っ走っただけ。
アヤは『自由の奴隷』だったけど、オリガはたとえ奴隷であったとしても『自由な奴隷』だった。
ハンスはそんなオリガの『自由』を奪ったんだから、『どんな手段』を使ってでも撃たなきゃ、それは『オリガへの裏切り』だよね。

セラフィマはオリガの遺体を盾に、見事、仇の狙撃手を撃つんだけど、オリガは許すだろうし、むしろそうせずやられていたら、あの世でアヤとオリガの説教タイムだったろうね。オリガ、敵前逃亡には厳しいから……!
セラフィマとは生まれや育ち、立場も目的もまったく違ったオリガだけど、なにかしらの『志』があって、『そのために生きた』という点では間違いなく2人は『同志』だった。

オリガの死後、セラフィマは訓練兵時代の夢を見るけど、オリガはその当時の『誰とでも仲良しになれる子』としての登場だった。
もしかすると、NKVDとして正体を明かしてからのオリガこそが『演技』で、訓練兵時代のオリガこそが『本来のオリガ』だったのかもなぁ……自分の仕事のことを『素敵な女優の仕事』と言ってたし。

つまり正体バレるまで『だましていた』のではなく、バレてからがオリガの『女優業の始まり』だった。
そして、夢だった『女優』のまま散った。
これは……! 間違いなく助演女優賞……!

オリガは、散り際までカッコイイ女性でした。

『自由の奴隷』と『自由な奴隷』の結末

作中には『嘘をつく卑怯な大人』『嘘をつく情けない男』がぎょーさん出てきた。
『彼らの嘘』に共通していたのは『保身のための嘘』だったこと。そのためなら他人を悪者にするのもいとわない。
けど、オリガの『嘘』は『誰かのための嘘』だった。そのためなら自分が悪者になったってかまわない。そしてそれを貫いた。

たしかに『戦争という状況』を作ったのは『自分』ではない。『置かれた状況』を悲観するのも仕方ない。
だけど、どんな状況下であろうと『自分がしたこと』すべてを『他人のせい』にするってことはつまり、『自分は他人に操作されてるキャラクターです(だから悪いのはプレイヤーです)』と言ってるようなもんだよね?

でもプレイヤーは、操作キャラが死んだところで『残機が一機減っただけ』で、責任取ってくれるわけじゃない。

なんならわざとク●ボーに激突させられることもあるわけで。
結局それって『自分の人生生きてない』ってことなんだろうね……
イリーナの『お前たちはそろいもそろって人形のように空っぽだ』とは、そういうことなのかもしれない。

アヤは『自由』が何かもわからぬまま、置かれた状況に『逆らう』ことで『自由』を得ようとした。
でもそれは、鮭でもないのに急流を上ろうとするようなもんで、お魚ですらないアヤはあっという間に溺れてしまった。
その結果、アヤは『自由の奴隷』となって、何も叶えられないまま儚く散った。

オリガは『コサックとしての誇り』を起点に、置かれた状況を否定せず、その役目に徹することを自らの意志で選んだ。
川の流れに身を委ねつつも、自分の行きたい方角へと見事に船を操った。
その結果、オリガはコサックの誇りを胸に、『女優』という夢を叶えて散った。

自分がどんな『つもり』だろうと、『自分がしたことの責任』は自分に返ってくる。
アヤとオリガは『敵にやられて死んだ』という結末は同じだったけど、『納得感があるかどうか』という点では、真逆の結末だった。

* * *

それでは今回はこの辺で。おもろかったら下にあるイイネボタンを押していただけると元気と勇気とやる気が湧いてきます(*´ω`*)ノ

次の考察はコチラ

同志少女よ、敵を撃て 感想と考察2 最後は愛が勝つ!?かしこいサンドラとダメ男ハンス

  • むちむち より:

    こんばんは。
    考察をよみはじめて、おや、これは実物をちゃんと読みたいと思ったものの、図書館の蔵書検索したら、206人待ちという過酷な現実を突きつけられたむちむちです。
    もういつになるのかわからないので、考察だけ先に読みました。
    戦争という特殊な状況下におかれた中での「自由」は、「希望」であり「幸せの象徴」だった。
    「自由」になっても「幸せ」になるかは、本来、別の問題なんだけど。
    どうも自分自身が戦争を体験していないので、本当に彼らの気持ちを理解できてないように思う。
    今でも戦争は実際にあって、その戦争に巻き込まれた人達がいて、何もできない自分の小ささに嫌気がさす。どうか無事でいてほしいと願うばかりです。

    読んでないお話なのに、とわこさんが進撃キャラを交えてくれるので、わかりやすかったです。
    オリガ!ええ奴!
    そして、他の話なのに、しれっとエレンディスリを忘れないという笑
    私も最近は何を読んでも、進撃に置き換えてしまうという謎現象が起きています。
    「むちむち、お前の脳は『進撃』にやられちまった。」とエレンに言われそうです。

    最終巻を買っておきながら
    読んだら物語が本当に終わる気がして、怖くて読めない臆病者なので…。
    アニメの完結編が始まる時までに、全巻揃えて(現在14巻までと34巻所有)、アニメを観ながら、とわこさんの考察とセットで補完していこうかと。→おい。

    この本も実物が読めたら、改めて、ここに来ようと思いますね。

    • むちむち より:

      ありゃ、最後の日本語がまたおかしくなってますね。日本人なのにおかしいな…
      正しくは、「また来ますね」です!

      • とわこ より:

        コメントありがとうございます!

        図書館は節約になるのはいいけど、話題になった本は忘れた頃になるまで順番回ってこないのが難点ですよね~……私はもう最初から借りるのあきらめてしまいました。
        だいぶボリュームのある本ですが、進撃が好きな人にはおススメの一冊です。
        たくましい女性が大勢出てきますが、それに対し『男はみんなエレン・イェーガーなのよ!(悪口)』なダメ男がぎょーさん出てきます。(※いい男性もいます)
        いやホント、特にダメキャラの中にエレンを見つけてしまうの、これはもう脳がすっかりヒモーガー病にやられてしまったのかもしれません……(もはや病気扱い)

        現実の戦争でも、ニュースではひどい話を聞きますが、ひどいことが起こるのは『人間がひどい生き物だから』ではなく『人間が弱い生き物だから』なのではないか……果たして『なんてひどいヤツらだ!』だけで片づけていいものなのか……
        『進撃』にしても『同志少女』にしても、自分はあくまで『物語の中』のキャラクター達の考察してるわけですが、現実の世界ともリンクして考えてしまいます。

        現物が読めたら、いつでもいらしてくださいね~!

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